東日本大震災はあらゆる意味で未曾有の社会問題を引き起こしましたが、日本人の特質「痛みを早く忘れる基本精神」の為に可也急速に風化するのでは無いかとの杞憂が残ります。その例の一つとしてイギリスの場合ですが、過去に採取した掘削資料の鉱物・岩石は全て記載して永久保存するべしとの考えです。日本ではこんな事は起こり得ないですね。これは我々のよって立つ生活基盤(高い変動率・自然との融合、詰り変幻自在の生活基盤的慣習)から自然に発生する習慣らしいので、今更どうしようとも言えませんが。
私はこれとは別に地震などの自然災害と生物の異常行動に付いて我と我が身を振り返って、あの地震で神経回路が大きく狂い、その状態が数箇月も続いた事に驚きを感じました。詳しい事は紙数の関係で省きますが、地震前後に起こる動物の異常行動とか、自然の宏観現象とも相通ずる物では無かろうかとも思いました。兎に角神経が異常な緊張と弛緩の交錯する一種の超躁鬱状態に成ってしまったのです。
GPP活動とは関係無いのですが、私は嘗て自分が手を染めた釜石沖の海底地震観測装置とその維持管理システムがどんな被害を受けたものか等と思い、震災騒乱がやや下火に成った4月11日から3日程、釜石から宮古周辺を綿密になぞって彷徨しました。彷徨とは一寸大袈裟なと思うでしょうが、この周辺の舗装道路(勿論道路標識など)施設も略皆無に成りその上大きな余震が続いて、社会がピリピリしていた時期でした。目的地に入ろうにも高圧電線が垂れ下がるなど、通行には危険が一杯で、現場を遥かに望む地点から眺めて、これはとても手に負えるものでは無い事を知りました。結果、観測装置も施設も跡形も無く、計測資料は東北大学の観測網に一部分保存されて居た事を、5月末の学会の席で知る事と成りました。その後暫くして落ち着いた所でその資料のコピーを頂きましたが、断線していなかったら現場ではさぞかし驚天動地の大津波が襲いかかるぞ、との認識が持てたでしょう。しかし海岸線から20mそこそこの高所に監視装置を置いたのは、明治三陸大津波(1896年)の経験を活かさなかったもので、勉強不足は慚愧の念に耐えません。
幾つかの石碑にもお目に掛り三陸大津波の経験等から、この高さから海岸方向には生活基盤を建てては成らぬとの先人の教えを守った集落は殆ど被害に遭っていない例も目の当たりにしました。
彼らはこの石碑から更に高台へ逃れる直登路も作っているのです。なおこの間、真夜中に路傍で車中仮眠した所を警ら隊に誰何され、2時間程所持品検査等を受けた事は、災害対策中に勝手な個人的行動をする事が、周囲の迷惑に成って居た事を改めて教えて呉れました。