1. 概要
3月11日に発生した東日本大震災と9月に発生した台風12号の豪雨災害に対して実施した現地への救援物資配送および現地調査を行った報告を行う。
時期および主な目的を下表1に示す。
表1 訪問時期と主な目的
対象 |
時期 |
目的 |
地域 |
東日本大震災 |
平成23年3月28日(月)
〜4月2日(土) |
救援物資の配送と被害調査 |
岩手県、宮城県、福島県、茨城県 |
平成23年4月28日(木)
〜5月1日(日) |
救援物資の配送と被害調査 |
岩手県、宮城県 |
平成23年7月19日(火)
〜21日(木) |
被災幼稚園への芝生化支援 |
宮城県七ヶ浜町 |
台風12号 |
平成23年9月14日(水)
〜15日(木) |
救援物資の配送と被害調査 |
奈良県十津川村 |
2.東日本大震災
(1) 第1回 東北救援物資の配送と被害調査について
実施期間:平成23年3月28日(月) 大阪出発〜4月2日(土) 大阪着 6日間
メンバー: 森川、小南(賛助会員社員)
実施の準備として、西日本支部が窓口となり、会員や普段交流のある他のNPOおよびボランティア団体に声をかけ救援物資の提供をお願いした。その中には知らない方々からもホームページを見て、衣類や子どもの絵本、おもちゃなどを提供頂いた。短期間の要請にもかかわらず
20の個人、団体から飲料水・食料、日用雑貨、衣類、子供用の駄菓子、おもちゃなどが届いた。 その他にも自動車工場の人には、スタッドレスタイヤへの交換やキャリアの取付をボランティアでして頂き、ガソリン携行缶も貸与していただいた。
救援物資の梱包と種分け作業は予想以上に時間を要し、野崎さんや西口さんの協力で出発前日深夜になんとか完了した。
実施工程は発災後4日目ぐらいから計画を開始したが、なかなか全体の被害状況が把握できないため工程とルート決定は難しかった。特に、関東以北の高速道路の通行状況が不明確であり、東北地区にレンタカーが無い(津波被害により車両管理ができていない)ことより、現地までは敦賀−秋田間はフェリーを利用して大阪から車で出発することにした。当初出発予定していた3月25日のフェリーが、予約3日後に船会社から緊急車両輸送のために日程変更の要請あり28日出発となった。
特に、現地でのガソリンの供給が困難との情報より、ガソリンを携行して出発し、現地では高速道路のSAや宿泊拠点とした山形市内で給油を行った。営業を行っているガソリンスタンドには数十台の車が給油待ちで、1台10リットルの制限がある店もあった。
工程ルートを下図 図2 に示す。
敦賀−秋田間のフェリーは20時間乗船したが、我々も含め利用者の殆どが作業着姿のNTTや復旧工事の関係者であった。
2 日目早朝に秋田港に上陸後、盛岡市内で情報収集を行い、午後 宮古市〜山田町〜大槌町に救援物資を届けた。 最初に向かった宮古市役所前の橋梁に漁船が激突した光景と市役所1階が津波で何もない状況を目の当たりにした時は、今回の災害の大きさを感じた。しかし、それから以後に見る被災地はそれ以上のものであった。宮古市では職員の方々には、多忙にもかかわらず丁寧に対応頂いた。
当日は盛岡市内のホテルに宿泊が、予約時には被災のためシャワーは使用できないかもしれないと言われていたが復旧していたので有り難かった。しかし上層階のレストランは使用できないため朝食はロビーが仮設の食堂となっていた。初日の移動距離486km
図2.工程とルート
3日目 盛岡〜大船渡〜陸前高田〜気仙沼〜仙台〜山形(泊) 移動距離 418km
大船渡、陸前高田、気仙沼はいずれも壊滅状態で建物が殆どなく、自衛隊がガレキの中に道を開いている光景ばかりである。
仙台市内は、建物に大きな被害は見受けられないが、ガスの復旧ができていないため、飲食店の9割は閉店状態であり、その他の商店、企業も従業員の交通手段である地下鉄、JRが普通のため閉店している施設が多数見受けられた。
4日目 山形〜仙台〜石巻〜女川町〜牡鹿半島〜山形(泊) 移動距離 350km
女川町の病院の張り紙「○○小学校児童の里親募集」は胸がつまる。
牡鹿半島の小さな漁港には多数の集落があるが、大きな避難所はなく救援物資が届いていない。
電気がなく真っ暗な民家に十数名が避難されていた。
一方 石巻市内では「長靴がほしい」「リュックがほしい」「ラーメンは飽きたからうどんがエエ」と要求され、我々の所有備品を奪われそうになるハプニングに遭遇。
5日目 山形〜名取〜福島県郡山市〜いわき市〜小名浜港〜大洗町〜茨城県つくば市 移動 距離550km
郡山市内は地震被害が大きい。市役所も閉鎖状態。原発50km以内は立入り禁止であるが、範囲外でも放射線は見えないので不安になる。救援物資は災害本部に山積み状態のため配布は実施せず。
6日目 つくば市〜鹿島市〜水戸〜東京・東名・名神経由〜大阪 移動距離 800km
鹿行大橋が一部落橋、鹿島スタジアム閉鎖
無事 帰還。ハードで衝撃的な一週間で一生忘れることができないであろう。
(2)第2回 東北救援物資の配送と被害調査について
実施期間:平成23年4月28日(木) 大阪出発〜5月1日(日) 大阪着 4日間
メンバー: 大脇、野崎、増本、森川、中野先生(NPO グリーンスポーツ鳥取)
工程は前回同様 2台の車で大阪を出発し敦賀−秋田間はフェリー利用
事前に野崎さんが避難所の場所や状況をインターネットなどで調べてくれていたので、物資提供
が比較的順調に行う事ができた。
2 日目 秋田港〜気仙沼〜陸前高田〜北上
気仙沼市では小学校と中学校に、子ども用の野球道具などを提供し、陸前高田市のぞみがおか病院の避難所では衣類の提供を行った。事前情報で親を探している子どもが避難しているとのことであったが残念ながら訪問した当日にお父さんの遺体が見つかったとのことであった。
3日目 北上〜女川〜牡鹿半島〜石巻〜仙台市荒浜〜会津若松
前回 物資提供した牡鹿半島の民家の避難場所では、仮設住宅を設置し薪でお風呂を沸かしていた。もう救援物資は要らないと言われ、増本さんが提供されたゲゲゲの鬼太郎ストラップが人気だった。
漁師さんたちが漁港のガレキ処理作業を行っていたが、膨大なガレキの量である。
仙台市荒浜地区も壊滅状態である。海岸近くの平地で住宅地区でもあり周りには高い建物はなく、逃げ場がない。
(3)感想
2回の東北支援活動で、津波の被害を見たのは初めてであったが地震以上に恐ろしく、高い場所へ避難するしか命を守る術はなく、自然災害には人間は無力である。何十年、何百年で築いたまちや財産が1日にしてなくなってしまったのであるから、住民のショックは計り知れない。
石巻の渡波小学校に避難されていた細田さんや気仙沼中学校からは礼状を頂き感謝です。
今後は微力ながら、まちの復興を長く見守っていきたい。
3.台風12号豪雨災害
平成23年9月2日から4日にかけて四国、近畿、中国地方を襲った台風12号は、特に紀伊半島に甚大な被害を与えた(激甚災害に指定)。奈良県上北山で総降雨量が1815mmに達し、奈良県、和歌山県で死者・行方不明者が81名、家屋被害は全壊・半壊が2000棟超などの被害が発生した。
西日本支部は、校園庭の芝生化事業において奈良県とは関わりも深く、被害にあわれた方にお見舞い申し上げます。今回の災害により 陸の孤島となった十津川村は奈良県と和歌山県の境に位置し、日本で最も大きな村である。通常時でも村への道路は狭い山道が続く所である。
十津川村の永曽教育長は数年前から十津川村の小学校を芝生化したいとの思いを持たれており、何度かお会いしていたこともあり、十津川村への救援物資配送を実施した。
実施期間:平成23年9月14日〜15日未明
メンバー: 森川、野崎
事務所に備蓄している非常用飲料水や非常食を車に積み、午前9時に出発。各自治体のホームページや知人の新聞記者などから十津川村への可能なルートを調べたが、奈良県側からの道路は全て法面崩壊などで通行止めとの情報。
仕方なく和歌山県田辺市からのルートを選択。途中数箇所の迂回路を経て熊野本宮まで到着し、そこから十津川村まで数キロの地点まで達したが橋梁の落橋があり迂回路もなく後退。
再度本宮町から三重県を経由し登山道のような旧道を経て 十津川村に午後9時にやっと辿り着いた。
今夏の災害は水害と言うより 氾濫した河川に法面崩壊の土砂が流入したため、ここでも津波が発生した。道路標識も水没した(水深4m以上)。
道路への土砂流入個所もまだ復旧対策がされていない個所も多数あった。
役場には自衛隊、土砂ダム対策の国土交通省のテックフォースが派遣されてきており、職員方々も大半が対策作業中であった。教育長も在席中で歓迎頂き、災害後の状況を説明くださり宿舎は立入り禁止区域なので机の前の床に寝ていますとの事。大阪市社会福祉協議会に事前に計画を相談したところ、関係者で義援金を募っていただきそれを教育長に渡したところ非常に感謝頂き、後日訪問に関し丁寧な礼状が届いた。
訪問時はスクールバスが運行できないので学校が再開できないことを案じられていたが、10月に入り学校も再開できたとの報告だった。
十津川村までの往路は12時間を要したが、帰路は夜間のため緊急車両用の道路が利用できたので5時間ほどで大阪の事務所に戻れたが 夜が明けかけていた。
また吉野町や宇陀市で校庭芝生化を実施した小学校も、校庭が一時水没したようだが、大きな被害がなく芝生は回復したようなので安堵した。