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特定非営利活動法人 シビルまちづくりステーション
旧称 ITステーション市民と建設

会報 第6号 東日本大震災の被災地救援・復興支援活動

第6号目次                                           

5、気仙沼・女川の災害状況を視察して      文:比奈地信雄  写真撮影:池畑輝男

 3月11日午後のんびりとテレビのニュースショウを見ていた。ガタガタと揺れを感じて数秒後にギイギイと家が大きく揺れだした。通常の地震と違っているなと感じたが初期の揺れから大きな揺れまでに時間があったので、震源地は遠いなと考えた。家内は慌てて外へ飛び出していったが私は大した事は無いだろうとそのまま椅子に座っていた。幸い停電にもならずテレビは放送を続けていた。断片的に地震の状況を流していたが間もなく津波情報を流すようになった。当初3m程度の津波と放送しており、その数値の大きさにも驚いていたがその後、現実はそれよりはるかに大きい10m以上であったと聞いて大変な事になっているなと思った。約20年前釜石市の防潮堤建設工事を見学に行き、10階建のビルより大きいケーソンを何十基も沈めて防潮堤を作っているスケールの大きさに感激した事を覚えている。今回の地震の津波であの防潮堤がどのようになったか非常に気になった。東北地方の太平洋海岸はリアス式海岸になっており、特に津波の被害を受けやすい地形を形成している。そのため数十年にわたり津波災害から守るため、防潮堤をはじめ色々な対策がなされてきた。にもかかわらず今回の津波でいとも無残に街は破壊されてしまった。「未曾有の」とか「想定外」と言う言葉で天災だからやむを得ないと責任を転嫁しようとしているが、本当にそれで良いのだろうか。少なくても土木屋の端くれとして糧を得てきた小生にとっては世の人々に申し訳ない気持ちが強くあり、少なくても命だけは何とか守れる方策をすべきであったと反省している。
 震災後一度現地を見たいと考えていたがシビルまちづくりステーションの仲間で視察する機会があり、5月下旬に仙台、気仙沼と女川を見に行った。約75日経っていたがその凄まじい状況は幼い時に見た、先の大戦の大空襲で被害を受けた横浜の街を彷彿させた。ところどころにコンクリートのビルが津波に洗われ抜け殻のように立っており、中には基礎杭がねじ切られて横倒しになって居るのもあった。津波の威力がまざまざと示されていた。今後どのように復興して行くのか想像もできなかった。何か我々 地盤沈下による浸水と流出のNPO法人で取り組める事は無いかと模索したが、災害の規模の大きさや瓦礫処理にてこづっている状態でまだ復興に向けての計画も策定されていない状態で残念ながら取り組める活動は見いだせなかった。
 気仙沼も女川も海岸地域は腐敗した魚のにおいが充満し、マスクをつけていても耐え難い状況であった。この中で道路整備や瓦礫処理を行っている作業員の 津波到来による廃墟した町苦労は大変であろうと思われたが何か雑然と行っている様子を見て、復旧する順序や方法には疑問が覚えた。
 東北の小さい漁業の町を復興するには今後幾多の困難が待っていると思われるが乗り越えなければならない試練であろう。我々のNPO法人も何か我々で出来る作業を見つけ、東北地域の復興に協力したいと考えている。

   地盤沈下による浸水と流出               津波到来による廃墟した町


     コンクリート建物の倒壊


      破壊された港湾施設


      破壊された港湾施設

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